スピノザ『エチカ』(岩波文庫 畠中尚志訳)

いやはや、何度読み直してもなかなか見通せないので、行ったり来たりしながら『エチカ』を読んでいる。 第5部定理22の「しかし神の中にはこのまたはかの人間身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念が必然的に存する」という、本質、永遠性の相、表現する、観念、必然的、という盛り沢山な言葉にめまいを覚えつつ。...
何度も読み返しても気づくことがあるのは、読む側の意識が変わるからだろう。「エチカ」は「エチカ」でずっとそこにあるので。いやはや、このような書物に出会えたことは本当に良かったと思う。...
いやはや、まさしく噛んでも噛んでも味の出てくるとしか言いようのない書物。...
『エチカ』第2部定理10はこれまたぐっとくる。 「人間の本質には実体の有は属さない、あるいは実体は人間の形相(フォルマ)を構成しない」 ひゃー。第2部公理1は「人間の本質は必然的存在を含まない」この人がいて、あの人がいて、でも生まれない人もいる。ということだから。...
もう、15年くらい「エチカ」(畠中尚志訳 岩波文庫)を読み続けて、いつも携帯しています。読むたびに気づきがある。まあそれはわからないことの連続だからかもしれない。それにしてもなんちゅー発想なんだとずっと驚き続けているんです。実体とその属性、そして実体(神)が表現する無限の様態。思惟と延長という属性を考えるときに、ついつい2本(2枚、2種類的な)の別のものを考えてしまうのだけど、決してそうではなく、同じひとつ実体の現れが違うに過ぎない。心身平行論といわれると何か別のものが平行しているようについついイメージするけど、そうじゃない。これに気づくだけでもえらいかかってしまった。気づいてしまってその発想にまっこと驚いた。こりゃー、どう腑に落とす?わかった気がするがどう納得する?そして最近やっと、スピノザさんの考えた世界の地平に降り立つ、ということをまず試みながら考え続けようと思い始めてるところです。初めてのブログなのでずっと思い続けていることから始めました。あと、神は超越的な原因ではなく、内在的な原因なんだというのも、惚れる考えだなあ。“神”には違う言葉があてられることも可能なのだろう。