2022/05/21
 インターFMの日曜16時からの「松浦敏夫のTokyo...
2022/03/20
 2か月の間の色々なこと。コロナ感染の猛威。今でも東京は7,000人越えの感染者という。BA.2の拡大はこれからなんだろうな。ロシアのウクライナ侵攻。あってはならないことが起きてしまった。3月19日のTBS「報道特集」、金平さんのベラルーシ、ルカシェンコ大統領への取材。恐ろしい緊張感。街での一般人への取材。人々の苦悩が滲み出る。凄いとしか言いようのない報道だった。地上波TVはほぼ見ないけど、これだけは見るようにしている。  外出を控えることが続く中、自転車で5分の所にある世田谷文学館での「谷口ジロー展」に行った。ボリューム満点。圧倒される。もちろん知っている漫画家だが、熱烈に読んでいたというわけではない。週刊漫画誌で『青の戦士』を読んだことがあったような。そして10年以上前か『孤独のグルメ』の単行本を買ったくらい。最近『孤独のグルメ』を録画して観てたので、その勢いで行った。寄せられた著名人コメントでは、『孤独のグルメ』主演の松重豊さんのものが印象深かった。「谷口さんの絵はリアリティーの中に気品がそそり立っていて、そこに実写で立ち向かうにはかなりの覚悟が要りました。細部に至るまで手が抜けない作業を自らに課すことになったのは、良い意味で谷口さんの呪縛に他なりません。」。感想を述べたり、批評する言葉を紡ぎだすのは苦手で、人の言葉に納得するしかないのだが、「気品がそそり立っていて」というところに、全くそうだと思った。  そしていつものように怒涛のように本が出版されるわけで、Twitterフォローの方々の貴重な情報によりいくつか買う。『治療文化論』(中井久夫著/岩波現代文庫)。落ち着いた文体と言うのだろうか、心の中がシーンと静かになり、人間の心(心の病)をどうとらえるか,ということを素人にも考えさせてくれる。スピノザ関連では『スピノザ 人間の自由の哲学』(吉田量彦著/講談社現代新書)を読む。とても良かった。  『エチカ』の理性が共通概念で、それによる認識が第2種の認識ということ、と理解してるんだが(いいかしら?)、理性というものは最初から備わっているけど、それを使用することが難しいのか、などなど、今までなんかよくわからなかった。この本を読んで、なるほどなと改めてわかったように思えた。超抜粋だけど「理性は、人間の初期装備ではないのです」(p.287)。「そもそもスピノザは理性を・・・適切な訓練を受ければ誰でも身に付けられるような能力とも考えていません」(p.311)。「こうして人間のうちに後天的に形成される十全な観念の一大ネットワークこそ、スピノザの理性と呼ぶものであり、・・・」(p.323)「理性とは本質的に、受け身のあり方を事後的に能動的なあり方へと修正する事後処理の装置であり、・・・要するに、一発食らってからでないと作動しないのが理性なのです」(p.327)とあった。ふーむ、経験を“認識”する、出来る限り共通概念に沿って。そうすると段々と第2種の認識が形成されてくる、ということか・・・。ドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』(平凡社ライブラリー)、共通概念の項に「<理性>がいかに述べるような二通りの仕方で定義されるのもそのためであり、これは、人間が生まれながらに理性的なのではないことを、いかにしてそうなるのかを、示している」(p.105)。理性的になっていく、ってことが書いてあるじゃないか。読み飛ばしてるなあ。いや、そもそも何を読み取ろうとしてるたんだ?そんな僕に吉田量彦氏の本が、スピノザの<理性>について輪郭をはっきりさせてくれたのは嬉しい。しかし、ここには観念の観念(意識)というものを考えておかないと混乱することは間違いない。そんなことを考えてしまっていたら、國分功一郎氏が3/21「月夜(げつよる)サイエンス」という催しで「スピノザから考える意識の問題」というテーマでお話しされるらしい。興味深い。。。  最近出たものでは『現代思想入門』(千葉雅也著/講談社現代新書)は、超注目されてる本。本屋さんでは続々特集が組まれてる模様。「現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。」(p.12)。実践の書!ドゥルーズの『差異と反復』からの引用、それをどう読むかの解説!嬉しいなあ。また開く勇気をもらう。『なんでも見つかる夜に、心だけが見つからない』(東畑開人/新潮社)も良かった。というかこれも実践の書。心の中に引く補助線。心について考える。少しでも考えられるようにする、こと。人と人について。自分と人の心について。人と社会、時代、状況。 (一般人に読みやすいようにという、細心の注意を払って書かれた本たちなので、さらっとまずは読んだけれど、何度も読んで実践に繋げねば、と思う。)  読んだ本は結局そのあたりを考えさせる本ばかりなのかもしれない。として、僕はなんでそれらを考えたいのか。。。前回から、いやずっとかな、そのあたりをぐるぐる回ってるような気がするなあ。年を重ねても、いつも身も心も大海に浮かぶ小舟のままだ。
2022/01/23
 2か月というのは、短いような長いような。それにしてもまたいろんなことがあった。そうヤクルトスワローズが日本一になった!コロナが収束したように思えたので帰省した。と思ったら昨日で東京1万人越え!まだ増える様子。悲しすぎる背景の事件の数々。統計偽装。年金支給額は0.4%ダウンというニュース!あまりにひどいではないか。国民年金は最高でも6万くらいだから、それだけで暮らせるわけもなく。それなのになんちゃらスライドの理由で下げるという・・・。日本も終わりだと思わざるを得んね。先日の電車でサラリーマンが読んでいた日経の一面には円の実力は30年前位になったという見出し。『人新生の資本論』(斎藤幸平著)が45万部突破ということだから、多くの人が危機感を持ってることは間違いない。  コロナで引きこもり状態になるので、本もいくつか読む。國分先生の『暇と退屈の倫理学』が文庫になった。ひとりで考えることへの導きの書だ。『ドゥルーズ 内在性の形而上学』(山内志朗著/講談社選書メチエ)はとても面白い。一度読んだ後に何度も開きたくなる。“存在の一義性”って途方もない思想なのね。「スピノザは存在の一義性を否定している。」(P.23)!?なんと!以前、なんとなくで書いたことに赤面する。ええっ、そんなに途方もない考えなのか、とビビってしまい、「存在の一義性 ヨーロッパ中世の形而上学」(ドゥンス スコトゥス 著、八木 雄二翻訳/知泉学術叢書 )を買ってしまう。この本高いけど、なんかデザインもいいと思っていた。ああ、このなんちゅうかミーハーで、いまだ見栄っ張りで、素人がちょびっと考えたいと思う、いじましさかな。  僕はそんな奴だから『ドゥルーズ 内在性の形而上学』の中にあるこの文章は面白かった「『差異と反復』の深度は並大抵のものではない。息を止めて深い底にまで潜り、読者は息が続かずもう我慢できないところまで来ても、さらに潜り続けようとする。あの耐えられない深度の継続こそ、壮年期のドゥルーズの姿だと思う」(P.30)『差異と反復』も見栄とミーハー心で読んでみるものだから当然全く読めてない。形容するなら、潜れないので水面に浮いたままだ。または潜ろうと思うけど、すぐに苦しくなって10秒持たずに水面へ。そして深い眠りの海へ・・・。てなところ。  最近、『精神と自然』(グレゴリー・ベイトソン著、佐藤良明訳/岩波文庫)を読み始めたが、P.57あたりから「現在の前提の是非を問い、非ならば破棄して新しい前提をつくるところに科学的思考の目標がある。・・・前提の組み替えにあたっては、自分たちがいかなる前提を基盤にしているかを意識すること、そしてそれを言葉で把握できることが、不可欠とは言わぬまでも、望ましいのは明らかである。」。P.58に「自分の拠って立つところが誤っている可能性に意識が及ぶことのない人間は、ノウハウしか学ぶことができない」とあった。  科学の世界では前提をパラダイムというんだっけ?それがほかの分野にも広がった言葉でしたか・・・。構造主義とか、エピステーメーとかも近いのかな。ドゥルーズのアレンジメントも入れていいですかね。いや違うんだろうけどまあいいや。なんかこう、自分が考える、いや考えるというより、感情の方向性を決めてる前提のようなものがあるんじゃないかと。野球が面白い、スワローズ勝って嬉しい!コロナは風邪じゃなかろう。引きこもろう。年金0.4%ダウンだとー!(怒)とか。『暇倫』は消費と浪費の違いが書かれてあったけど、自分の消費の癖とか。ドゥルーズをわからんのに読んでしまおうとするその欲望とか・・・。  前提・・・。個人の欲望は精神分析的に探るか。しかしその個人も社会の制度やら習慣をベースとした環境で生きてきたし生きてる。生きられる前提には人は地球がある。生きる前提としての自然。人が生まれる前からある存在。スピノザの「神即自然」に思いを馳せる。それがこれ以上遡れない前提なのかな・・・。『人新生の資本論』のテーマは大事だと思うこの頃であった。
2021/11/20
 この2か月の間にはいろいろなことがあったように思える。いつも何かが起こっているのだろうけど、結構自分にとってはなかなか色々あった2か月だったということだろう。...
2021/09/19
 一昨日から一泊で水俣に行ってきた。映画『MINAMATA』のプレミアム試写会があったが、ご縁で行くことになったので。水俣病は既に有名であり、被害者の皆さんがどれほど闘ってきたかと、いうことは聞こえてくるところではあった。私は7、8年前になぜか佐藤真監督ドキュメンタリー映画DVDパックの中にある『阿賀に生きる』を観たこともあってだろうか、自分でもよくわからなが、引っ掛かっているところもあったのだろうか。お誘いを受けて水俣に行くことができたわけです。  話はそれるが、前のブログから2か月の間に素晴らしい本を読んだ。『みんな水の中』(横道誠著 医学書院)、『心はどこへ消えた?』(東畑開人著 文藝春秋)、『みんな・・・』は自閉スペクトラム症とADHD(注意欠如・多動症)を診断された横道さんがどんな世界を生きているかという内側からの記録。『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著 医学書院)に感動したことを思い出す。しかし、この『みんな・・・』を読むと、健常者と傷害者とわけるのは無理だと改めて思った。そのグラデーションにあえて区分を設けなければ出来る治療もできないのかもしれないが、意識の変革が必要だと思った。『心は・・・』は心療内科に来る相談者の心の悩み、大きな物語にかき消されそうになる小さな物語、人それぞれの心の複雑さに目を向ける。ふと、立ち止まる・・・「いったい私はなにをしてるんだろう・・・」「ああ、こんなに苦しいのはなんでだ?」「あの時の自分はいったい・・・」「なんで、それが許せない?」・・・。自らのこころにふと目を向けさせる、東畑氏の言葉。それは自分も考えさせられる。日常行為、日常的に沸き起こる感情、日常的思考に、はたと別のこころが働く・・・。「なんで、自分はそんな風に感じたり、考えるんだろう」。そんなことに気づかせられる本であった。ああ、これは秋が近いなあ。  そして水俣の本。『みな、やっとの思いで坂をのぼる』(永野三智著 ころから)。水俣市、水俣病に苦しむ人々のひとりひとりの声を聞く永野さんの記録。ひとりひとりの言葉・・・。「水俣病」をよく知らぬ人は(私も)、一括り、二括りのイメージで捉えているであろうが、「水俣病」の被害者と一括りに考えることは到底できないのであり、その言葉を聞き続け受け止め、そして自らのこと、被害者の闘いへの思いなどが、綴られている。読む者は、「水俣病」を自分としてどう考えようか、とふと立ち止まる。一括り、二括りで語る、ステレオタイプの思考、を崩されてしまった後、さてどんな感じが体にやってきて、どんな言葉が立ち上がるのか。ふと立ち止まり、消えた心はどのように現れるのだろうか・・・」まだまだ、その心がやってくるには早いのかもしれない。  水俣の相思社で永野さんにお会いできた。時間もなくて少しだけしかお話しできなかったけれど、まずはお会いできて良かった。「森元斎著『国道3号線』の中に出てくる“相思社の知人”が永野さんですね」ということを余談としてお話しするなど。  「水俣病」について何をどう考えよう。『日本の思想』(丸山真男著)、『もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く』(安冨歩著)あたりの、日本人の思考習慣からも考えてみる?國分功一郎氏の『来るべき民主主義』などで行政のこととか?もちろん「水俣病」関連本はいうまでもなく。そうだ、相思社で買った『図解水俣病 水俣病歴史公証館展図録』はすっばらしい!と思います。チッソという会社のこと、有機水銀のこと、闘争のこと、住民の複雑な思い、行政のこと、障害状況のこと、差別のことなどなど、それが図や、データ、当時の記事、などで現わされて、多面的でかつすごくわかりやすい!。これはですね、みんな絶対手に入れた方がいいです。ちょっとこの図録はテンションあがりました。  慌ただしい出張で水俣湾を見ていない。一昨日は雨で、かつ車での移動で街を感じる時間もなく、昨日はよく晴れたが、イベントでこれまた会場に入りきり。帰りの新水俣駅は静かであった。そういえば会場を出て車で移動する時も静けさを感じたのであった。台風14号のなごりの風が少しあったか・・・。スピノザの『エチカ』を読むたびに風を感じるという人は多い。そしてその風のなんと心地よいことだろう。水俣にも新しい風がきっと吹くのだろう。しかしそれは、きっと日本全国に吹いてほしい風だ。
2021/07/17
 『エチカ』で示されている身体と精神のありようについての考えに驚き続けていて、そういう状況もあって、“こころ”についての本があらためて読みたくなっていた。...
 『スピノザ入門』(文庫クセジュ)の改訂新版が出たので、早速購入。読んでる途中。2008年に発売されたものは中古だとえらい高くなっていて手が出なかったので、改訂新版として出てとても嬉しい。「<伝説抜きのスピノザ像を描く>評伝の決定版」とコピーにあるのがそそられる。訳者あとがきにあるように、「・・・スピノザ主義の歴史的な「受容」を解説することにある。言い換えれば、本書は、スピノザという哲学者がどのように生き、何を論じ、どのように受け止められてきたか、を解説するバランスよい<スピノザ入門>である。」から、スターに憧れるファンのような見方(?のような)から、もう少し冷静に考られるようになる、かもしれない。これはファンとしてはやっぱり知るべき情報だろうと思う。とは言え、それと『エチカ』のことを考えるというのはまた別の話。  僕のような素人が 『エチカ』を読むと、何度読んでもわからんことや、ピンとこないことが次々と出てくる。こーなのか、あーなのかとうつらうつら考えつつ(考えてないかもしれない)、寝かし、忘れ、しばらく経って、ふと、ああそうなのね。となることが幾度も。しかもそれもこちらの勝手な思い込みという場合があり、それもまたやっぱりそうじゃない、違うわこれ、となって、またグレーになる。  そんな状態なので、また最近ふと気づいたことがあって、それはもう当然とされてることなんだろうけど、自分の中でなるほどと思ったことが出てきた。実体(神)の属性として延長と思惟があって(人間に把握できる属性として)、この世界のあらゆるものが延長と思惟という属性によって表現される。というとき、じゃ、石にも思考があるんかね、と思うのは違うということだった。定義上、実体(神)は延長と思惟の属性によって表現されるのだから(延長⇒物体、思惟⇒観念)、石は実体(神)において延長と属性により表現されたもの、ということなんだなと。なんか僕はおんなじことを繰り返してるみたい。 つまり、石の観念は実体において表現されてる。これは人間にはわからんこっちゃ。ということで、ここで僕は宙づりにしておきまして。しかし、これは『エチカ』を読むと、もちろんそのように書かれてることなのに、どうしても、思惟というと、考えること、という風に捉えているので、わからなくなるんだとわかる。読んでも読んでないということなんですね。こういうのが沢山ある。國分功一郎先生がOSが違うと『100分de名著』で書かれていたけど、そういうことも含めてなんだろうなあ。  それにしても『スピノザ 実践の哲学』(ジル・ドゥルーズ著、鈴木雅大訳 平凡社ライブラリー)はホントにすごい本だ(翻訳がすんばらしいと思う)。『エチカ』主要概念集のところなんてもう最高ですね。これどういうことなんかなと思ってみると必ずその項目があって、超絶的な説明がされてる!ひゃーっすごい~、なるほどー、の連続。  だものですから、クセジュの『スピノザ入門』を開き、気持ちを落ち着けようと思ってます。 
2021/04/20
 その昔、不摂生から体重が激増した時に、突如不整脈に襲われ息もできず、脂汗が出てきてものすごく苦しんだときが2、3度あった。それから、ちょいと運動せねばならんかなと思って始めた水泳。平泳ぎはできたけれど、クロールは苦手で25メートルを必死で泳いで息も絶え絶えの状態だった。クロールの方が運動量も多いと思って始めたわけだが、下手過ぎて長く泳げない。人の泳ぎを色々見たり、泳ぎ方の本も買ったりしてみたが、自分の泳ぎが全然できなかった。前にも書いたことがあると思うけど、ある日、水泳のインストラクターだろうか(僕は習ってなかったけど)、とても美しい泳ぎ方をしていたので、それを水中にもぐって見てみた。なんとも優雅でゆっくりで、水しぶきも立てることなく、すいーっと泳いでいた。これだ!と思ってよーく観察すると、これが、ワンストロークワンキック、つまりは2ビートクロールだったんだね。  それ以来(もう10年以上前からだけど)その泳ぎ方でいこうと自分なりに工夫する。でも我流なのでよくわからない。試行錯誤の上で、たどり着いたのが、歩くように泳ぐということだった。まずは動かないで手を伸ばしてうつ伏せ状態で水に浮く。そんでもってボートのように手で進める。次に水を掻く手と同じ足をキックしてみる、というようなことから始めて、息継ぎは3拍子で左右でするようにしてと意識して・・・、てな感じでやってきて、ようやくずーっと泳げるようになった。我流なのでいいかどうかわからんけれど、まあ楽だからいいとした。つい最近、ネットで調べたら僕がワンストロークワンキックと言っていたのは2ビートクロールというもので、とあり、動画もあってみると大体同じということが分かった。ただ、掻き方や、キックは我流だから多分無駄が多いんじゃないかと思う。  ということでまだ未完成で、一番効率のいい楽な方法を手探り状態で確かめつつ泳いでいるわけなので、やっぱり人はどんな風に泳いでいるのかなと気になる時もある。やたら手の動きが早い人、バタ足がやたら多い人、やたら水しぶきの上がる人、色々だ。半身がマヒしてる人もそれなりに泳いでいる。すんごい早い人もいる。水泳クラブに所属してたりするような若者たちは鍛えられた体で、元気にそして嬉々としてぐいぐい泳いでいる。ウーム、おいらはとても早くは泳げんし、それを目指すわけでもない。相変わらず誰よりも一番遅いくらいのストロークで泳いでいるようだ。理想は魚のように泳ぐことか・・・。魚にも色々だけれど、小魚みたいな泳ぎではなくて、魚じゃないけどイルカとか、大きめのタイプがゆっくり泳ぐような・・・なんてことを思いつつ。そんな泳ぎの中でふと頭に浮かんだのが「魚は他の魚の泳ぎは気にしない」という言葉だった。なんかぽっかり浮かんできたので、なぜ浮かんだのかわからない。でもすごく面白くて笑ってしまった。  人も歩いてる時、よっぽど変わった動きをしてる人を見たら別かもしれないけれど、ほとんど人の歩き方を気にせず歩いてる。泳ぎが自然になるとそうなるのかな。まだまだ僕の泳ぎは自然じゃないと思うけれど、自分の“楽”(=自然)を見つけるようにすることに専念することにしよう。いつか魚のように泳げる日がくるであろうか・・・。魚が他の魚の泳ぎを気にしないように。
2021/03/21
 ドメインの制限管理となってしまい焦った。制限管理がかかるとメールもウェブサイトも使えない。手続きをしたと思ったのに不手際があって遂行されなかったらしい。制限管理は今日から始まります、というメールに、「えっ、なぜに?ちゃんと手続きしたはずなのに!?」そこから心臓がバクバクして頭に血が上る。サポートサイトにメールして、回答がきたけれどどうすればいいのかなんやらよくわからん。その後色々試したので、もうやることはやったので後は復旧を待つばかりと思っていた。深夜、ふと目が覚めて、まてよ、サポートの言ってることはこういうことか、と思い、もう一度手続きをやり直す。そして2日後復旧したのであった。(パニクり状態であれやこれややったのはほぼ無駄であった)  後で思ったのは、パニクらず、Webに記載されているその場合の対処方法をじっくり読んで理解して進めればうまくいったのに、ということだった。しかしその精神状態になると、私の場合、まずは手あたり次第やってみることが先だってしまい、文章を読んで理解するとか全くできない。元々文章を理解するのに時間がかかる方だと思うので、なおさらである。しかも詳しくもない分野であるし、今までに経験したこともないことなので、読んでも字面を追ってるだけの上滑りでなーんも理解できない状態だった。もし深夜に目が覚めてふと気づかなければ、多分まだ復旧してない。  自分はすぐにパニクるほうで、そうなると思考が働かないということが今更だがよくわかった。高次脳機能障害の症状の一つに人の喋っている言葉が理解できない、読んでも理解できない、というのがあるがまさにそれである。  それにしても時々、深夜に目が覚めたときに何かに気づくということがある。昼間の、心身への色んな影響で波立った状態から深夜、一旦眠りについて心身が凪状態になった時に、ふと目覚めて(多分あんまり深い睡眠ではないため)ある気づきが浮かんでくる時がある。今回も、サポートが言ってたこと、説明分の意味などが、ああ、そういうことなのね、というように。不思議なものである。  その後「エチカ」のことが頭に浮かぶ。第5部はスリリングな部で、何度も読み返すけれど、今回は定理2が気になった。「もし我々が精神の動きあるいは感情を外部の原因の思想から分離して他の思想と結合するならば、外部の原因に対する愛あるいは憎しみ、並びにそうした感情から生ずる精神の動揺は破壊されるであろう」というもの。はしょるけど、スピノザの第1種の認識、第2種の認識、第3種の認識は、表象知、理性知、直観知と言える思っている(勝手に)。日ごろの現象に影響されて浮かぶところイメージや感情から生まれる言葉や判断(第1種の認識)は、あんまり当てにならなくて、現象を共通概念(=理性知=第2種の認識)から認識すると心身の状態は変わるということだろう。(直観値は置いといて)  てなもっともらしいことを書きつつ、この認識の違いというのを表象知で考えてもしょうがないんだなと思う。でも表象知で考えているけど、この第2種の認識というのも、一種とは違う、例えばレイヤーの違いみたいなもんかなと(ちょっとズレてるかもしれないけど)。またはマインドフルネス状態なのかなと(けれど、定理3で「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成するや否や受動であることを止める」とあり、これにより能動へと変わるということだから、マインドフルネス状態とは違うと思うけど)。  などなど考え、自分のいとも簡単にパニクる第1種の認識をちょっぴりでも第2種の認識へ移行するにはどーすればいいんだろうね、と思うこの頃なんですね。でもマインドフルネス瞑想もしてないし・・・遠いなあ。
2021/02/20
 最近、22年前の映画「ノッティングヒルの恋人」にはまってしまった。ジュリア・ロバーツの演技がホントにすんばらしい、と今さらだけど知った。ヒュー・グラントもはまってるなあ。あまりにも巧い展開で、山あり谷ありを繰り返してクライマックスへ!何度観ても、飢餓感を感じて観てしまうのは、ストーリーが出来すぎ、つまりは省略もありすぎるので、行間を埋め込もうと何度も感情を注入したくなる、とでも言おうか。。。配役もセリフもいいし、本でいう何度も読み返す素敵な1冊にめぐり逢ったようなものである。  それで最近また観て、ふと気づいたのは、これはある意味、中動態を表現した映画ではなかろうかということ。ヒュー・グラント演じるタッカーはいつも受動的な生き方をしている。妻にも逃げられてしまったきり、特に新たに恋人を求めようともしていない。そんなところに自分のやってる旅行本専門の本屋さんに、ジュリア・ロバーツ演じるハリウッドの世界的に有名な女優アナ・スコットがふらりと現れる。って今更ストーリーを述べてもしょうがないので、まあ色々あるけど、いつも彼女の方が積極的で言い寄られてる。受動的にその行為を受けているのだが、ずっと夢心地。好きになりつつあるのだが、ほんとかどうか半信半疑(多分)。彼女をめぐる出来事で、離れざるを得なくなると彼の心は打ちひしがれる。  友達みんなと集まった時に、皆に謝る。これまでの僕はまるで元気がなかったけど、やっと立ち直る気になった、なんていうのだ。(ここでの友人アレックスユーモラスな言葉がいい「死人より元気がなかった」だって!)見かけの能動態。けれど、アナがこちらで撮影していると聞くと撮影現場にやっぱり会いに行ってみる。いい感じの出会い。しかしまた打ちひしがれる出来事!その後、アナが本屋に来て、タッカーに何度でも会いたいと言うのに、がつんと打ちのめされてしまった後なので、もう会わない方がいいと言って拒んでしまう。  再び皆で集まって、タッカーがアナと別れたことを告げると、皆、口々にそりゃ良かったと励ます。ただ一人同居人のスパイクを除いて。けれどその時はまだ自分の気持ちがよくわかっていない。そんな時、友人の一人バーニーが「でも、いいよな、好きな人に言い寄られるなんて」とポロリ。タッカーはじわじわと自分に向き合い始めて、「大変だ、僕は間違ってた」と自分の心の中にアナが好きであることがストンと落ちる。そして、アナのところへみんなでGO!  説明だけが長くなってしまった。タッカーの受動的な人生。能動性を発揮するときもあるが、何かそれは心なく、見かけの行為。最後の気づきに至る友達との会話が面白いところ。自分は別れることにしたけどいいよね。とみんなにいう。こういう確認を周りに求めるのは、タッカー自身、別れるという積極的な行為が何かおかしいとうすうすはわかってる。みんなも懸命に肯定してくれて、納得しようとする。けれど、スパイクのなんてこった、という言葉や、バーニーのポロリの本音がタッカーの心にじわじわと効いてくる。  優しい心遣いの肯定。そこにスパイクの言葉の一撃。バーニーの次元の違う本音の言葉。受動的な能動が嘘と気づき、自分が心から好きであることが自分の中にやっと落ち着き、確信に至るという過程。  自分の心の中に確信が芽生えての行為、というのは中動態といえないかしら。ついでに、友人たちとブラックジョーク交えての会話もなんかオープンダイアローグ的でないかしら、と思ってしまった。(いやオープンダイアローグというのは聞きかじっただけだから、勝手に想像して楽しんでます。)  まあとにかく、ホントにいい映画だと思いました。

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