久々のメロディー・ガルド―!など

 インターFMの日曜16時からの「松浦敏夫のTokyo Moon」を録音し始めてから2年位経つ。ONKYO(無くなっちゃうのか・・・)のコンポはSD録音ができるので便利。この番組は録音して、ながらで聴くには最高ですね。そんなに前のじゃないけど、録音したのを適当に選んで聞いてると女性ボーカルとピアノの曲が流れてて、おおなんかいいぞと思って聞き直した。松浦さんがアーティストと曲名を言った。なんと、メロディー・ガルド―とフィリップ・バーデン・パウエルのデュエットで「あらがえないもの」(ピエール・バルーの曲)とのこと。歌もピアノもいいなあ!久々に聞く名前、メロディー・ガルド―!

 前に勤めていた会社事務所のラジオのJ-WAVEで流れていたマイ・ワン・アンド・オンリー・スリル」からの1曲が鮮烈で、即アルバムを買った。前のアルバムも一緒に。よく聞いたもんだ。今はアルバムを聞くわけでないのに時々なぜか頭に浮かんでいた。といいつつ追っかけていたわけではないので、それからは彼女の活躍は全く知らず。そして最近たまたま聞いてしまって感動したわけです。デュエット曲を含むアルバム「オントレ・ウー・ドゥー」は5月20日発売と分かり、即予約して買ってしまった。ついでに「サンセット・イン・ザ・ブルー」も。なんちゅーか、彼女の、力まず、盛り上がりも少ない、つぶやき系とでも言おうか、魅力的です。P・B・パウエルのピアノのアルペジオ的な(?)弾き方もいいす。

 2か月の間には色々あるなあ。4月の初旬には母が亡くなった。ステージ4の癌で既に入院していたが、まだまだ大丈夫だろうと思いつつ、正月から会ってないので、10分の面会のために帰省した、つもりだった。面会日前日に入ったら、病院から夕方連絡あり、危篤となったと。急きょ病院に向かい、防護服やら手袋やらして(県外から来た者を用心してのコロナ予防のため)面会。意識はなかったが、しばし傍にいて、思い出話など語っていると、数値が落ち着いてきた(語ったせいなのかはわかりません)。で一旦戻って待機。翌日は2度ほど行ったり来たり。落ち着いたということで、戻るとまた病院から連絡。いよいよあぶないということで姉の車で大急ぎ向かう。そして会って直後に亡くなった。

 正月に戻った時に、母の提案により、母の葬式について打ち合わせた。母が既に決めていることを伝え、私はメモるのみ。葬儀社の指定、お寺への連絡、住職へのお礼の額、家族葬、町内会には会長のみに伝えること、香典は受け付けないこと、などなど。

 という打合せのおかげで、主治医の死亡診断後、即葬儀社に連絡、そして当日の仮通夜から始まり、通夜、告別式、火葬とあっという間であった。ウーム、私が東京から帰省した今だ、という母の思いだったのだろうか・・・。わかることではないけれど、色々思いたくなる。あっという間の3日間であった。コロナのせいで臨終の際に会えなかった、という声を聞く。会えたというのは大変有難いことである。

 スピノザ関係では『スピノザ哲学研究』(工藤喜作著/学樹書院)を買って読みつつある。この本は、Amazonでもコメントなし。ネットで検索しても批評、感想めいたものはほぼ無い。上野修氏、國分功一郎氏、吉田量彦氏の本にも参考書籍としては名前が上がらない。先生方が参考書籍に上げない理由はあるんだろうな。まあそれはおいといて。この本を買った理由は岩波文庫でない『エティカ』で第5部を読んでみて、あらためて定理の順序に意識がいったせいかなと思う。いや畠中氏の『エチカ』でも意識できるのだろうけれど(意識してなかった)、ちょうどもう一度定理の流れを考えたいなと思ってた時期に『エティカ』の第5部を読んで、ああ、流れがあるんだなと思ったせいかもしれない。

 勢いで買ったこの研究書のまえがきに「・・・その間スピノザ哲学についての知識はいくらか増えたが、人間としての彼との距離は少しもせばめられていない。」とある。私にはこの本に学ぶことは多いと思う。なるほど、と思うところ、いやそうなのかな、と思うところ、色々こちらに考えさせてくれる。

 工藤喜作氏には、まえがきの思い、そして文章から(まだ半分しか読んでないが)考えるに、神(=実体=自然)を前提とするスピノザ哲学、ということがわかる、というだけでは物足りない。スピノザのいう神をどうやったら体感(というか、スピノザのように感じることが)できるのだろう、できれば体感したい、ということが念頭にあるような気がする。頭で理解する、ことではなく、スピノザの神が自分の救いの神となるのか、という問題(願い?)が。まあ、ゆっくり読んでいこう。

 2か月の間には他にもあるけれど、3つのエピソードでした。タイトルのなかの“など”の話が長いですね。