『エチカ』の理性についてなど

 2か月の間の色々なこと。コロナ感染の猛威。今でも東京は7,000人越えの感染者という。BA.2の拡大はこれからなんだろうな。ロシアのウクライナ侵攻。あってはならないことが起きてしまった。3月19日のTBS「報道特集」、金平さんのベラルーシ、ルカシェンコ大統領への取材。恐ろしい緊張感。街での一般人への取材。人々の苦悩が滲み出る。凄いとしか言いようのない報道だった。地上波TVはほぼ見ないけど、これだけは見るようにしている。

 外出を控えることが続く中、自転車で5分の所にある世田谷文学館での「谷口ジロー展」に行った。ボリューム満点。圧倒される。もちろん知っている漫画家だが、熱烈に読んでいたというわけではない。週刊漫画誌で『青の戦士』を読んだことがあったような。そして10年以上前か『孤独のグルメ』の単行本を買ったくらい。最近『孤独のグルメ』を録画して観てたので、その勢いで行った。寄せられた著名人コメントでは、『孤独のグルメ』主演の松重豊さんのものが印象深かった。「谷口さんの絵はリアリティーの中に気品がそそり立っていて、そこに実写で立ち向かうにはかなりの覚悟が要りました。細部に至るまで手が抜けない作業を自らに課すことになったのは、良い意味で谷口さんの呪縛に他なりません。」。感想を述べたり、批評する言葉を紡ぎだすのは苦手で、人の言葉に納得するしかないのだが、「気品がそそり立っていて」というところに、全くそうだと思った。

 そしていつものように怒涛のように本が出版されるわけで、Twitterフォローの方々の貴重な情報によりいくつか買う。『治療文化論』(中井久夫著/岩波現代文庫)。落ち着いた文体と言うのだろうか、心の中がシーンと静かになり、人間の心(心の病)をどうとらえるか,ということを素人にも考えさせてくれる。スピノザ関連では『スピノザ 人間の自由の哲学』(吉田量彦著/講談社現代新書)を読む。とても良かった。

 『エチカ』の理性が共通概念で、それによる認識が第2種の認識ということ、と理解してるんだが(いいかしら?)、理性というものは最初から備わっているけど、それを使用することが難しいのか、などなど、今までなんかよくわからなかった。この本を読んで、なるほどなと改めてわかったように思えた。超抜粋だけど「理性は、人間の初期装備ではないのです」(p.287)。「そもそもスピノザは理性を・・・適切な訓練を受ければ誰でも身に付けられるような能力とも考えていません」(p.311)。「こうして人間のうちに後天的に形成される十全な観念の一大ネットワークこそ、スピノザの理性と呼ぶものであり、・・・」(p.323)「理性とは本質的に、受け身のあり方を事後的に能動的なあり方へと修正する事後処理の装置であり、・・・要するに、一発食らってからでないと作動しないのが理性なのです」(p.327)とあった。ふーむ、経験を“認識”する、出来る限り共通概念に沿って。そうすると段々と第2種の認識が形成されてくる、ということか・・・。ドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』(平凡社ライブラリー)、共通概念の項に「<理性>がいかに述べるような二通りの仕方で定義されるのもそのためであり、これは、人間が生まれながらに理性的なのではないことを、いかにしてそうなるのかを、示している」(p.105)。理性的になっていく、ってことが書いてあるじゃないか。読み飛ばしてるなあ。いや、そもそも何を読み取ろうとしてるたんだ?そんな僕に吉田量彦氏の本が、スピノザの<理性>について輪郭をはっきりさせてくれたのは嬉しい。しかし、ここには観念の観念(意識)というものを考えておかないと混乱することは間違いない。そんなことを考えてしまっていたら、國分功一郎氏が3/21「月夜(げつよる)サイエンス」という催しで「スピノザから考える意識の問題」というテーマでお話しされるらしい。興味深い。。。

 最近出たものでは『現代思想入門』(千葉雅也著/講談社現代新書)は、超注目されてる本。本屋さんでは続々特集が組まれてる模様。「現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。」(p.12)。実践の書!ドゥルーズの『差異と反復』からの引用、それをどう読むかの解説!嬉しいなあ。また開く勇気をもらう。『なんでも見つかる夜に、心だけが見つからない』(東畑開人/新潮社)も良かった。というかこれも実践の書。心の中に引く補助線。心について考える。少しでも考えられるようにする、こと。人と人について。自分と人の心について。人と社会、時代、状況。

(一般人に読みやすいようにという、細心の注意を払って書かれた本たちなので、さらっとまずは読んだけれど、何度も読んで実践に繋げねば、と思う。)

 読んだ本は結局そのあたりを考えさせる本ばかりなのかもしれない。として、僕はなんでそれらを考えたいのか。。。前回から、いやずっとかな、そのあたりをぐるぐる回ってるような気がするなあ。年を重ねても、いつも身も心も大海に浮かぶ小舟のままだ。