考えることや行動のバックボーンなど

 2か月というのは、短いような長いような。それにしてもまたいろんなことがあった。そうヤクルトスワローズが日本一になった!コロナが収束したように思えたので帰省した。と思ったら昨日で東京1万人越え!まだ増える様子。悲しすぎる背景の事件の数々。統計偽装。年金支給額は0.4%ダウンというニュース!あまりにひどいではないか。国民年金は最高でも6万くらいだから、それだけで暮らせるわけもなく。それなのになんちゃらスライドの理由で下げるという・・・。日本も終わりだと思わざるを得んね。先日の電車でサラリーマンが読んでいた日経の一面には円の実力は30年前位になったという見出し。『人新生の資本論』(斎藤幸平著)が45万部突破ということだから、多くの人が危機感を持ってることは間違いない。

 コロナで引きこもり状態になるので、本もいくつか読む。國分先生の『暇と退屈の倫理学』が文庫になった。ひとりで考えることへの導きの書だ。『ドゥルーズ 内在性の形而上学』(山内志朗著/講談社選書メチエ)はとても面白い。一度読んだ後に何度も開きたくなる。“存在の一義性”って途方もない思想なのね。「スピノザは存在の一義性を否定している。」(P.23)!?なんと!以前、なんとなくで書いたことに赤面する。ええっ、そんなに途方もない考えなのか、とビビってしまい、「存在の一義性 ヨーロッパ中世の形而上学」(ドゥンス スコトゥス 著、八木 雄二翻訳/知泉学術叢書 )を買ってしまう。この本高いけど、なんかデザインもいいと思っていた。ああ、このなんちゅうかミーハーで、いまだ見栄っ張りで、素人がちょびっと考えたいと思う、いじましさかな。

 僕はそんな奴だから『ドゥルーズ 内在性の形而上学』の中にあるこの文章は面白かった「『差異と反復』の深度は並大抵のものではない。息を止めて深い底にまで潜り、読者は息が続かずもう我慢できないところまで来ても、さらに潜り続けようとする。あの耐えられない深度の継続こそ、壮年期のドゥルーズの姿だと思う」(P.30)『差異と反復』も見栄とミーハー心で読んでみるものだから当然全く読めてない。形容するなら、潜れないので水面に浮いたままだ。または潜ろうと思うけど、すぐに苦しくなって10秒持たずに水面へ。そして深い眠りの海へ・・・。てなところ。

 最近、『精神と自然』(グレゴリー・ベイトソン著、佐藤良明訳/岩波文庫)を読み始めたが、P.57あたりから「現在の前提の是非を問い、非ならば破棄して新しい前提をつくるところに科学的思考の目標がある。・・・前提の組み替えにあたっては、自分たちがいかなる前提を基盤にしているかを意識すること、そしてそれを言葉で把握できることが、不可欠とは言わぬまでも、望ましいのは明らかである。」。P.58に「自分の拠って立つところが誤っている可能性に意識が及ぶことのない人間は、ノウハウしか学ぶことができない」とあった。

 科学の世界では前提をパラダイムというんだっけ?それがほかの分野にも広がった言葉でしたか・・・。構造主義とか、エピステーメーとかも近いのかな。ドゥルーズのアレンジメントも入れていいですかね。いや違うんだろうけどまあいいや。なんかこう、自分が考える、いや考えるというより、感情の方向性を決めてる前提のようなものがあるんじゃないかと。野球が面白い、スワローズ勝って嬉しい!コロナは風邪じゃなかろう。引きこもろう。年金0.4%ダウンだとー!(怒)とか。『暇倫』は消費と浪費の違いが書かれてあったけど、自分の消費の癖とか。ドゥルーズをわからんのに読んでしまおうとするその欲望とか・・・。

 前提・・・。個人の欲望は精神分析的に探るか。しかしその個人も社会の制度やら習慣をベースとした環境で生きてきたし生きてる。生きられる前提には人は地球がある。生きる前提としての自然。人が生まれる前からある存在。スピノザの「神即自然」に思いを馳せる。それがこれ以上遡れない前提なのかな・・・。『人新生の資本論』のテーマは大事だと思うこの頃であった。