ちょっとパニクって考えてみる日々

 ドメインの制限管理となってしまい焦った。制限管理がかかるとメールもウェブサイトも使えない。手続きをしたと思ったのに不手際があって遂行されなかったらしい。制限管理は今日から始まります、というメールに、「えっ、なぜに?ちゃんと手続きしたはずなのに!?」そこから心臓がバクバクして頭に血が上る。サポートサイトにメールして、回答がきたけれどどうすればいいのかなんやらよくわからん。その後色々試したので、もうやることはやったので後は復旧を待つばかりと思っていた。深夜、ふと目が覚めて、まてよ、サポートの言ってることはこういうことか、と思い、もう一度手続きをやり直す。そして2日後復旧したのであった。(パニクり状態であれやこれややったのはほぼ無駄であった)

 後で思ったのは、パニクらず、Webに記載されているその場合の対処方法をじっくり読んで理解して進めればうまくいったのに、ということだった。しかしその精神状態になると、私の場合、まずは手あたり次第やってみることが先だってしまい、文章を読んで理解するとか全くできない。元々文章を理解するのに時間がかかる方だと思うので、なおさらである。しかも詳しくもない分野であるし、今までに経験したこともないことなので、読んでも字面を追ってるだけの上滑りでなーんも理解できない状態だった。もし深夜に目が覚めてふと気づかなければ、多分まだ復旧してない。

 自分はすぐにパニクるほうで、そうなると思考が働かないということが今更だがよくわかった。高次脳機能障害の症状の一つに人の喋っている言葉が理解できない、読んでも理解できない、というのがあるがまさにそれである。

 それにしても時々、深夜に目が覚めたときに何かに気づくということがある。昼間の、心身への色んな影響で波立った状態から深夜、一旦眠りについて心身が凪状態になった時に、ふと目覚めて(多分あんまり深い睡眠ではないため)ある気づきが浮かんでくる時がある。今回も、サポートが言ってたこと、説明分の意味などが、ああ、そういうことなのね、というように。不思議なものである。

 その後「エチカ」のことが頭に浮かぶ。第5部はスリリングな部で、何度も読み返すけれど、今回は定理2が気になった。「もし我々が精神の動きあるいは感情を外部の原因の思想から分離して他の思想と結合するならば、外部の原因に対する愛あるいは憎しみ、並びにそうした感情から生ずる精神の動揺は破壊されるであろう」というもの。はしょるけど、スピノザの第1種の認識、第2種の認識、第3種の認識は、表象知、理性知、直観知と言える思っている(勝手に)(勝手に、なんておろかにも書いててしまってあほだな。畠中尚志氏他、当然そのように書かれている。それを読んでるのに忘れてる。(後日追記))。日ごろの現象に影響されて浮かぶところイメージや感情から生まれる言葉や判断(第1種の認識)は、あんまり当てにならなくて、現象を共通概念(=理性知=第2種の認識)から認識すると心身の状態は変わるということだろう。(直観値は置いといて)

 てなもっともらしいことを書きつつ、この認識の違いというのを表象知で考えてもしょうがないんだなと思う。でも表象知で考えているけど、この第2種の認識というのも、一種とは違う、例えばレイヤーの違いみたいなもんかなと(ちょっとズレてるかもしれないけど)。またはマインドフルネス状態なのかなと(けれど、定理3で「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成するや否や受動であることを止める」とあり、これにより能動へと変わるということだから、マインドフルネス状態とは違うと思うけど)。

 などなど考え、自分のいとも簡単にパニクる第1種の認識をちょっぴりでも第2種の認識へ移行するにはどーすればいいんだろうね、と思うこの頃なんですね。でもマインドフルネス瞑想もしてないし・・・遠いなあ。