スピノザ「エチカ」はアタリメのよう3

いやはや、まさしく噛んでも噛んでも味の出てくるとしか言いようのない書物。

昨夜はふと夜中の3時過ぎに、あの時の出来事の意味がわかってしまった、と気づいて、うつらうつらから突然目が覚めてしまった。そのように後からそうだったのかと気づくことは割とあって、自分がとても鈍いんだなと思う。しかし、なんで後で気づくのだろう?あの時の意識には全く上らず意味がつながらなかったのに。後で気づくというか、突然閃くという感じでしょうか・・・。

ちょうど「エチカ」第2部定理13「人間精神を構成する観念の対象は身体である。あるいは現実に存在する延長の様態である、それ以外の何ものでもない」を読んで相変わらず良くわからんので寝てしまいました。2部もまた途方もなくすごい展開だけれど、この定理が久々に脳を回っていたのでしょうか。スピノザのいう観念は表象でも言葉でもないので、中々イメージできない(今もできましぇん)。属性の思惟の変状としての観念・・・それは言葉でも表象でもない、ならなんじゃらほいな。“三角形”の観念とは表象でも言葉でももちろんない。思惟は人間の属性ではなく、神の属性なので人間だけでなくあらゆる存在には思惟と延長という属性がある、ということから、観念というのは人間だけの思惟の様態とは言えないというこがわかる。観念と身体、観念と延長の様態・・・スピノザは実感として、存在を実体の2属性を含む属性の表現として感じている。スピノザにおいていったい世界はどんな具合にあるんだろう。

その定理と夜の突然のひらめきはあんまし関係ないと思うのですが、意識が働いていることと、心身としてこの世界に生きていることとは違うなーと思いました。それにしても、スピノザの観念についての考えはこりゃーすごい、と思ってしまったことは間違いない。