2か月経過すると多少のあれこれがあるものだ。もうしばらくすると生まれ故郷に移り住むわけだが、そのためにまずはケア事業の閉鎖の届け提出。利用者さんは多くはないけれど他事業所にケアの引継ぎ。ヘルパーの時間調整は中々難しいもので、皆苦労している。なんとか受けて頂き誠に有難い。従業員も引き受けてくれその事業所、そこを紹介してくれた相談支援員さんに感謝!
自分の会社は零細企業で、その経理仕訳は長年やっているけど、ひたすら現場実践なので簿記資格はないから、一応簿記3級は取ってみた。普段は会計ソフト入力で自動計算が当たり前なので、帳簿記入の基本を知ったのは良かったと思う。複式簿記の凄さは実践で痛感してるけど。
『あたらしい家中華』(酒徒著/マガジンハウス)により、中華鍋を使って料理することがたまにある(山田工業所の中華鍋、すんばらしい)。レシピ通りに作るため、食材の量をはかりで確かめ、調味料は計量スプーンで入れ、炒める順番、時間を守る。自分の傾向と感覚を置いといて、かつアバウトさを我慢して。最近、初めてチャレンジした家中華は、今までより少し食材が多く、手間が多かった。ええい、面倒だ!となるところを抑える。仕込んで中華鍋で勝負だ!そして皿に盛る!食べる!
おお、これは旨いではないか。自分の傾向と感覚で作ったものとは違う旨さだ。これは、ささやかな他者との出会いではなかろうか。他者のルールに従って出来上がった他者の味。自分にはないものだ。料理本の料理は美味しいものである、という前提があるので、全く理解不能な他者ではないけれど、自分ではないことが分かるくらいの他者として。知人の家で頂く料理もそうだが、自分の慣れたものとは違う何かを感じる。
こういう味の新鮮さは、レシピをものにすると失われるのかもしれないけれど、その時は別の喜びが生まれるのだろう。子供時代はそんな新鮮さに満ちているのだろうな。レシピはルール、ルールに従うと別の世界が見えてくる。別の世界を知った驚き。まあ、そこからの展開は色々。極めることも反発することも、変わらないこともあるだろうけど。
大人になるとこれが中々難しい。習慣と経験は巨大な慣性となって人を動かす。かつ高齢になると疲労が加わり、色々と面倒くさくなる。日々実感。中華鍋から小さな他者を感じる日であった。